※残酷・流血表現有


 壊れている、ヒト


   009:柔らかな皮膚を切り裂いて

 消音器を噛ませた拳銃の音は破裂というより噴出音に似ている。詳しい理屈はわからない。支障はない。しぶく鮮血が颯真の髪を染めていく。栗色は重たく湿って鬱蒼と黒い。髪をまとめている布地にまでべっとりと染みる。お釈迦かな。気に入りの模様だったんだけど。颯真は髪をまとめる布地を幾つか持っていてそれぞれに使い分けている。布地の折り込みで濃淡をつける透かし織が特に気に入っていて柄も豊富に持っている。神職に似せた制服は組織からの支給だ。眼鏡やピアス、髪留めといったたぐいのものは自費。倒れている標的を眺めながらそんなことを思う。念のための銃撃にさえ痙攣的に四肢が跳ねたがそれだけだ。鼻の穴と口は虚ろに黒く溢れた血で塗りつぶされている。銃口を頭部へ固定させたまま息をうかがう。組織の体質としてしくじりは何があっても避けねばならない。うまく仕留めたようで標的は絶命している。
 不意に切れた雲の影から月が顔を出す。颯真はぬるりとした感触で初めて返り血を意識した。触れてみると顔の半分ほどを覆うようにかぶっている。袖口で眼と口を乱暴に拭う。
「おい」
名前を呼ばないのは防衛手段だ。呆然としているのに柊介の手元は確りと標的を仕留めていた。颯真は柊介の手を取ると踵を返した。後始末は組織がやることだ。颯真たちがしなければならないことは過不足なくそのものでなければならない。憶測や独断は処罰対象になった。
 あてがわれた寝床へたどり着くと颯真は柊介の手を離す。柊介も特に何も言わなかった。サニタリースペースが個別に用意されているのはなかなかの待遇だと思う。颯真は上着を脱ぎ捨てる。元々色が黒っぽい種類であるからどこがどう汚れたのか判らないし、洗濯して滴が紅いと困るのだ。体液の染みは落ちにくいし臭いが取れない。
「なぁどっちが先に、シャワー」
瞬間、柊介の体が奔った。颯真の体が沈む。本来であれば跳躍して柊介を飛び越えたいが天井もあるし用意もない。舌打ちして左へ傾ぐのを追うようにして柊介の手が薙いだ。柊介が愛用する小振りなナイフだ。よく研がれた刃先が颯真の頬をかすめる。
 まろぶようにして低い重心を保ちつつ床を蹴りつけて飛び退る。颯真のいた場所を正確に柊介のナイフが薙ぐ。運動神経には自信がある。物音を派手に立てて人が来るのを避けようとする。報告するべきであると判っていてできない自分がいることに気づいている。
「おい、柊介…柊介!」
柊介の体が退く。その隙に颯真は横へ飛んだ。ためで跳ね上がる勢いで柊介が突進してきた。颯真の腕や頬には赤い線が幾筋も引かれる。じゃっと音がして手術メスのようなナイフが柊介の手に構えられる。扇で払うように振りかざされてナイフは針のように正確に颯真の影を縫い止める。跳ね上がった颯真が失策を悟る。中空に浮かんだ状態での体勢の転換は難しい。ナイフを振るうと同時に踏み込んでいた柊介の顔が間近に見えた。
 どん、と掌底を腹部へ食らった。颯真の体が勢いでくの字に折れる。着地の体制を整えるのが精一杯だった。颯真はその場で嘔吐した。口元を覆いかすくことさえ間に合わず吐瀉物が服や靴先、指先を汚す。組織の所属地位にふさわしいだけの実力があるのだと思い知らされる。喘鳴を繰り返す颯真を柊介は眼鏡の奥から冷徹に眺めている。柊介の目が煌めく。肩から先に動くのは遠心力を利用するからだ。ナイフを握る手が振り子のように揺れる。颯真はすぐさま手を逃がそうとしたが間に合わなかった。颯真の手の平は大ぶりのナイフで壁に縫い止められた。爆発的に高まる熱と出血に颯真は引き攣る喉を殺して悲鳴を押し潰した。理性と反射と本能がせめぐ。颯真の手がビクビクと痙攣する。吐瀉物で汚れた頤を薄く開いてふいごのような息をする。喉が鳴る。
 柊介の紺紫の双眸がぎらりと突き刺す。捕食者のそれに颯真は早々に抵抗を諦めた。柊介の手は容赦しない。突き刺したナイフをぐるりと抉るように回転させる。肉が抉られ骨まで響く痛みが颯真の脳髄を駆けた。戦慄く口は開ききって喉の圧迫だけが颯真の悲鳴を押し殺す。ぱちりと乾いた嵌め込み音がする。折りたたみナイフだ。まだ持ってたのかよくそったれ。刃先は遊ぶように滑る。それでも切れ味はよく服や皮膚を裂いた。颯真の頬や首にも赤い線や珠が生まれた。縫いとめられたままの手に感覚がない。ぶちまけられた朱色が垂れてさながらホラー映画の題字だ。血の気を失って痙攣する指先が白い。壊死したら困るな。
「…抜いていい?」
柊介の返事はない。颯真は自分でナイフを抜いた。新たな鮮血がとぷんと溢れて衣服を汚す。動かしたことで血流がめぐってどくどくと脈打つ痛みが戻ってくる。ハンカチを歯で裂くと包帯のように継いでいきながら止血する。
「なにがある」
ぼそりとつぶやかれた柊介の言葉の真意が判らない。返事をしない颯真に柊介の声が迸った。
「お前の皮膚の奥には、五条颯真の中には何が、在るッ!」
答えようと息を吸う。瞬間に頭のなかで響く轟音に颯真は気を失った。


 僅かな震動が意識を呼んだ。目蓋の慄え、四肢の先端の感触。恐る恐る開く目蓋の先には見慣れた照明がある。身じろぐと肌に触れる感触が違う。目線をやれば全裸だ。ため息をついて大の字になる。そこはどうやら颯真の寝台だ。足元の方に腰をろして華奢な背を向けているのは柊介だ。颯真の手や傷は手当されていて疼くような痛みがありかを知らせるように鳴動する。貫通した手の平を掲げる。綿や包帯で清潔に止血されている。眺めている颯真に気づいたのか柊介の静かな声がした。手当はした。縫合もしたから痛むなら専門医にかかれ。縫合って。応急キットを使った。颯真も柊介も怪我をしたからといってすぐさま手当の出来る状況ではない場合もある。それぞれにある程度の備品の装備が在る。髪へ手をやって綺麗に拭われていると気づく。返り血を吸った布地もない。捨てたか? 漂白している。捨てても良かったのに。気に入りなら怒るかと思った。
 不意に発生した戦闘について何も言わない。終息したようで柊介はもう普通だし颯真が言うべきことはないと判じた。壁を見回しても戦闘の残骸はわずかに開いた穴だけだ。ナイフもしまわれている。
「……何故なにも、訊かない」
「…お前が普段から言ってるじゃん。過去とか訊くなって」
「殺していたかもしれないぞ」
「殺されるんなら別の誰かにも殺されるだろうからいいよ別に」
「眠っているお前を犯した」
「ふぅん」
体に感じる違和感はどうやらそれだ。体の中心に穿たれたような空隙が在る。子宮を宿す女性体ではないからどうも柊介の置き土産のようだ。据わりが悪いと思ったらそれだな。怒らないな。まぁ、別になぁ。どうでもいいわけじゃないけど固執するほどのことじゃないしな。
 「バカ颯真」
言い捨てる柊介の怜悧な容貌は泣き出しそうに歪んだ。颯真はそれを見ないふりをする。柊介は体を引くと目元をしきりにこすった。颯真が外のものからアドバンテージを取れるならそれは体つきくらいだ。男性でも高めの身長。情報操作より白兵戦に向いている。体の扱いだって識っているつもりだ。頭より先に体が動く。そういう性質だと理解している。
「ひでぇ。俺の努力はどこいったん」
「何が努力だバカ颯真」
「犯しておいてそりゃあないだろ」
「また犯すぞ」
ぎしりと寝台をきしませて覆いかぶさる柊介の体は明確に男性だ。華奢でか細く見えたのはどうやら誤りで、頬を撫でてくる手の平や大きささえ男のそれだ。
「犯してもいいからキスしてくんない?」
「比重が狂っているようだが。私は言ったことはするぞ」
抜身を掴まれて颯真の体がはねた。すぐさま朗らかな笑い声が溢れて、絆創膏だらけの手が柊介の髪を掴んで引き寄せる。唇が重なった。柊介は服を脱いだ。


《了》

書いてるときは楽しいのが通常運転              2013年9月9日UP

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